日記 diario

その他 altro

ネタバレ・コンプライアンス考(補足)

 前回書いた内容について、おそらく自分に向けられたであろう(そうでなくても)鋭い批判を目にしたので、それをふまえて考えたことをまたいくつかメモしておこうと思う。ネタバレという主題からはやや逸れてしまうが。  とりわけ映像や書籍の場合、ネタバレがこれほど忌避されるのは、作品およびそれにまつわるプラットフォームの性質上、作品を生の芸能として体感させる言葉が流通しづらく、結果として鑑賞者が情報消費的な態度に落ち着いてしまうからではないか、というのが前回の主旨だった。これは議論構成として古臭いうえに脆く、もっと厳密に考えるべきであった。批判されるべき理由はほかにもあるだろうが、思いつくところでは、たとえ作品を情報の集積と見た場合でも、だからといって作品が体感を生まないとか消費されてしまうといったことにはならない、という意見が挙げられる。事前に漏れた情報を知っていると、作品の体感そのものが毀損されるのだという異論はありえる。こうした点について書かなかったのは、字数によるところもあるが、それ以上に、体感という言葉を、自分なりの前提にしたがって用いていたからだろうと思われる。  私は...
日記 diario

太田光『向田邦子の陽射し』から

 いきなり不謹慎なことを申し上げて恐縮だが、もしあの世へ旅立ったら自分が泣いてしまう有名人って誰だろうか、と考えると、真っ先に太田光の顔が浮かんでくる。これはたぶん自分だけではなく、YouTubeのコメントなどを見る限り、彼のファンは多かれ少なかれみんな似たような心持ちで彼の姿を見ているんじゃないか、という気がする。なんでそうなのか、ということ、これは一言では言えない。時や場所をえらばず、どんな媒体でもパワーを全開にする人なので、かえって言葉にするのは難しくなってしまう。  ただ、『向田邦子の陽射し』という本を読んでくれさえすれば、こちらの言わんとすることは、おおよそわかってくれるのではないかと思う。つまりそれは、あなたが太田光をどう思っていようが、どうも思ってなかろうが、この本はとにかく輝いているということだ。これを読んでない人間が太田光をどう批判しても、あまり説得力はないと思う。  なぜそれほど輝いているか。まず、太田の魅力は、彼が自分にとってかけがえのない人について語るときにそれが一番くっきり現れる、というところにある(ラジオで彼が語る芸談などからも、そのことはよ...
2026.04.24
日記 diario

Banana Yoshimoto, Come un miraggio(吉本ばなな『うたかた/サンクチュアリ』)——文芸翻訳について

  近所の書店(Feltrinelli)でピックアップされていたので、吉本ばななの新しいイタリア語訳(訳者は今回もGiorgio Amitrano氏)を購入しました。彼女の初期(1988年)の作品で、高校の頃に読んだとは思うのですが、あらためて。  四月のはじめにはイースター(Pasqua)で大学の寮が閉まるので、近所のルッカに遊びに行きましたが、『うたかた Come un miraggio』はその宿泊先で読了しました。こういう小旅行にぴったりだなと感じます。ただ、そのせいもあってか平日に読むとあまり気分がのらず、『サンクチュアリSantuario』はようやく今日読みました。  彼女の文章にほとんどいつもある、透明な風が身体を通っていくような感覚が、Amitrano氏のイタリア語だとより強く味わえる気がします。そう思ってさっき原文を見返してみたのですが、印象の違いにわりあい驚かされました。  たとえば『うたかた』冒頭の1)イタリア語、2)自分の耳に聞こえるその日本語訳、3)原文、4)原文のClaude訳を比べてみるとこんな感じです。 Arashi...
2026.04.24
タイトルとURLをコピーしました