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詩 poesia

Cesare Pavese, I mari del Sud(パヴェーゼ「南の海」)

 パヴェーゼ(1908-1950)の生前唯一の詩集、『働き疲れて Lavorare stanca』の最初の一篇を訳してみました(1930年の作品です。死後70年が経過したため、著作権は切れています)。既訳もありますが(河島英昭等)、イタリアにいるため参照がかないませんでした。  詩の舞台はパヴェーゼの故郷、イタリア北部のピエモンテです。「私」の従兄は、田舎にはめずらしく、世界中を飛び回った過去をもつ中年の男で、かつて冒険小説に憧れた「私」(パヴェーゼ自身を投影)は、彼をいまでも慕っています。「私」の子供時代、親類から忘れ去られたこの従兄が、ふと一枚の葉書をよこしてきます。それは「南の海」からの手紙でした。  彼の小説を読まれた方はすぐ気づかれると思いますが、本作は彼の最初期の作品で、その後の小説のテーマが繰り返し立ち戻る基点となっています。ごく平明な、散文に近い筆致で書かれており、これは当代の詩潮からは大きく外れるものでした。本詩集は、第二次大戦後、イタリア詩が再び散文化してゆく過程を理解するうえで欠かせない参照点となっており、自分が最近この作品を読みこみはじめた理由も...
2026.04.24
日記 diario

太田光『向田邦子の陽射し』から

 いきなり不謹慎なことを申し上げて恐縮だが、もしあの世へ旅立ったら自分が泣いてしまう有名人って誰だろうか、と考えると、真っ先に太田光の顔が浮かんでくる。これはたぶん自分だけではなく、YouTubeのコメントなどを見る限り、彼のファンは多かれ少なかれみんな似たような心持ちで彼の姿を見ているんじゃないか、という気がする。なんでそうなのか、ということ、これは一言では言えない。時や場所をえらばず、どんな媒体でもパワーを全開にする人なので、かえって言葉にするのは難しくなってしまう。  ただ、『向田邦子の陽射し』という本を読んでくれさえすれば、こちらの言わんとすることは、おおよそわかってくれるのではないかと思う。つまりそれは、あなたが太田光をどう思っていようが、どうも思ってなかろうが、この本はとにかく輝いているということだ。これを読んでない人間が太田光をどう批判しても、あまり説得力はないと思う。  なぜそれほど輝いているか。まず、太田の魅力は、彼が自分にとってかけがえのない人について語るときにそれが一番くっきり現れる、というところにある(ラジオで彼が語る芸談などからも、そのことはよ...
2026.04.24
日記 diario

Banana Yoshimoto, Come un miraggio(吉本ばなな『うたかた/サンクチュアリ』)——文芸翻訳について

  近所の書店(Feltrinelli)でピックアップされていたので、吉本ばななの新しいイタリア語訳(訳者は今回もGiorgio Amitrano氏)を購入しました。彼女の初期(1988年)の作品で、高校の頃に読んだとは思うのですが、あらためて。  四月のはじめにはイースター(Pasqua)で大学の寮が閉まるので、近所のルッカに遊びに行きましたが、『うたかた Come un miraggio』はその宿泊先で読了しました。こういう小旅行にぴったりだなと感じます。ただ、そのせいもあってか平日に読むとあまり気分がのらず、『サンクチュアリSantuario』はようやく今日読みました。  彼女の文章にほとんどいつもある、透明な風が身体を通っていくような感覚が、Amitrano氏のイタリア語だとより強く味わえる気がします。そう思ってさっき原文を見返してみたのですが、印象の違いにわりあい驚かされました。  たとえば『うたかた』冒頭の1)イタリア語、2)自分の耳に聞こえるその日本語訳、3)原文、4)原文のClaude訳を比べてみるとこんな感じです。 Arashi...
2026.04.24
その他 altro

はじめに

 個人サイトを作ってみました。といっても、これまであまりそういうものの熱心な読者ではなかったので、タイトルから書き出しから、手探りのスタートです。Halitusというタイトルは、ラテン語で「息」や「蒸気」といった意味ですが、音、声、詩、生命、面影——そういう雲をつかむような対象について、なにかアーカイブを残せたら、という気持ちを込めています。  ちょうどここ一年ほど、「月刊シナリオ」という雑誌で「息の根」という短文連載をいただけたことがきっかけで、バラバラだと思っていた自分の興味に、どんな脈が通っているのかを実感する機会が増えてきました。それを地道に文脈に移していくと、もしかしたら20年後くらいに自分が(あるいは誰かが)助かるかもしれないな、というのがサイトを作った最初の動機です。  もうひとつの理由は、自分がここ数年、イタリア文学、とくに詩を中心に研究するなかで、派生して映画や音楽、普段の生活でもなんだか感動のレベルが上がってしまったため、適当に吐きださないと身がもたないからです。あわよくば、そうやって吐きだした息がだんだん形をとり、誰かにとっての公園みたいな場所に育...
2026.04.24
詩 poesia

休日の電車

あの電車に乗ったらぼくはもうぐっすり眠るだろういっぱい本を詰めた鞄を足もとに置いて 腕をひろげてこときれたように気持ちがいいんだ抜け目ない子供が財布をすってもぼくはいっこう気づかず眠るあたりのみんなも眠りはじめるおじさんのよだれが座席に落ちジャージを履いた女子高生も子守りに疲れたおばさんもぽっかり口を空けたまま——一羽のルリカケスがまっすぐに車内を飛んできたそれには気づかずにいつしかみんな起きるのを待っている神様はびんぼうゆすりを繰り返しそのゆすりがまた眠気をさそうのだどうしてこんなにやわらかいのだろう車窓を素早くよぎる動かぬはらわたはいっそうやわらかい、ということを忘れるほどただ家に帰るだけなのに海水浴をめざすような気分だ、なんて——ああ これは家への道ではない  この乗客はみな 家を失った人々——気づいたとき僕はもう列車に乗っておりそれからずいぶん長いこと揺られていたこともかさねて思い出していた最初に起きたおばさんがいそいそ荷物をまとめはじめる転がり落ちたミカンをすかさずひろい僕は——あのう、降りるんですかと聞くおばさんは寝ている子どもを一瞥し——この子を届けにいくんですよと言...
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