久しぶりにフランス語のセミナーを聞き、当然ながら全く自分に関係がないはずの打上げに便乗して楽しませてもらった後、若干飲み足りない感じがして御茶ノ水の安居酒屋でひとり飲みし、運動部員の歓談を突き抜けてくる奥の風俗嬢二人の気持ちよく直接的なトーク(最近は客探しにAIを使うらしい)に聞き入り、終電間際でも平日なので適度に空いている総武線のなかで最近復刊された吉川幸次郎『漱石詩注』を開くと、漱石が病魔に見舞われていた明治43年頃の漢詩は、そういう人間には特有に沁みてくるものがあり、
桃花馬上少年時
笑拠銀鞍払柳枝
緑水至今迢逓去
月明来照鬢如絲
栗毛の馬のうえの青年の日、笑みを浮かべつつ銀色の鞍に腰かけ柳の枝を払った。緑色の川は今も屈折しながらはるか流れ去り、月明かりが照って鬢は白糸のように、くらいの意味だろうか。各行のたたえる色彩は老いずにそこにあるので、すべてが動きのなかに描かれているということはまだあまり信じられず、だからこそ、本当には日々が過ぎ去りつづけているということはなんて瑞々しく切ないのかと思わされ、そうしてみるとこの感慨にはもはやほとんど人を選ぶところがない。

Comment